大工塾ネットワーク「杢人の会」
コラム

毎回、担当の大工が日頃考えている疑問や悩みを本音で綴っていきます。

大工の本音

木工匠 鴫原工務店:鴫原孝
鴫原孝

■手間をかけるという事

3年前に川崎から千葉県いすみ市(旧大原町)に引越してきた。
そして、今やっと地元の仕事をやっている。
とは言え車で1時間10分ぐらいの鴨川市の木造新築現場で設計屋さんの仕事である。
よそ者である自分が千葉の房総半島で仕事をやるのは難しい事であろう、そんな中で仕事の依頼や、紹介していただいた方に感謝している。
その現場でたずさわる職方は、みな初めてである。

遠いせいもあるが、今までの職方の馴れ合いのままでは新たな発展は無いだろうと思い、みな地元の職方にした。探すのに苦労した。
その初めてであるがゆえ微妙に段取りが狂う、今までのようにいかない事もしばしばあった。
しかし、自分の仕事のスタイルは変わらない。
現場を常に掃除し、かたずけ、そして材料(素材)を大切に、丁寧に扱う。
したがって材料を加工し、取り付けて納めるまでにかなり手間がかかる。
造作の化粧の板が現場に入っても、1枚、1枚、見てから貼るヶ所や順番をきめてから貼る。
手間がかかる分、貼り手のセンスと材料、素材の美しさが出るのではないかと思う。
施工中は1日〜2日の差であっても、納めてしまえば何十年もさらされる事になる。
したがってそこはこだわる所である。


左官職人さん

先日、左官屋の親方が「今までで一番きれいな現場だ」と言ってくれた。
竹小舞も終わりこれから荒壁をつけるという時である。
その時の現場は大工の材料や道具はかたずけ、柱や梁・桁すべてに養生をしておいた。
完璧な養生を前にしてそこまでやらなくてもいいと思うかもしれない。現に思われていると思う。
しかし、みんなで一生懸命刻み手鉋で仕上げた部材である。
刻みの時は、毎日夜なべで刃物をとぎ、雨風に耐えながら丁寧に扱い刻んだ部材である。
いくら後から拭けば落ちるとはいえみすみす汚すわけにはいかない。
左官屋さんも養生を汚すことなく見事丁寧に塗りあげていた。
やはり現場には、緊張感が必要だと思う。
我々が現場をきれいにしているせいか、各職方も自分のゴミはきれいにかたずけ現場はいつもきれいさっぱりしている。


なぜ、よけいな手間をかけるのか、請負で仕事をやる場合、責任をもって最後まできちんと仕事をする事は勿論のこと、施主(お客様は神様)から工事請負残金を気持ち良く貰うことが自分の使命だと思っている。
そのために工事中は誠実に隙をつくることなく近隣にも気を使うし、出来ばえもさることながら常に良い状態でみられる様に気をくばる。
いくら請負契約書があるとはいえ、工事中に施主からの信頼が薄れてくれば、最後はトラブルの原因になると思うからである。したがってそこは避けたい。
だから、現場に対する愛情と材木(素材)に対する愛着心、そして人々(職方)の和を持って現場をきっちり納める。
自分たちの技術、技能はまだまだであるがゆえにちがう方面で一番になりたい。
要は何でもいいから一番(オンリーワン)になれたらよいのだ。

ただ大きな問題が一つ、このようなスタイルで仕事をすると、工務店としての利益がないのである。
はっきり言って儲からない(手間をかけすぎるからだぁー)。
いつかはつぶれてしまうかもしれない。
今まで運よく仕事がつながっていたのでここまでやってこれた。
ただ、目先の利益は無いにしても、将来、大きな意味で考えれば、いま、うちの若い衆が10年、20年、とたった時、各人おのおのの場所で、愛着心やオンリーワンというプロ意識を持って活躍してくれればそれでいいのだ。


本実をつくる中古の機械

それにしても、またアホなことを考えている。
それは原板の板から、床板や壁板を作ることである。
板の本実を作る中古機械(60万)しかも片面づつしか出来ないものを買ってしまった。
超仕上げカンナはいまだ持っておらず、アホである。こんな割にあわないバカな事をする工務店はないだろう。
要は、もう世の中がおかしくなってきて、国や個人が目先の利益しか考えていないような気がする。
まともに考えれば、今は大変で皆仕事もなく不安な世の中になっていてやりきれない思いである。


そんな中で仕事(現場)があるというのは、有難い事であり、いわば我々にとって現場は聖域である。
だからこそ今ある現場をもっと大きな心でとらえじっくりと素材(木や土など)と向き合って誠実に生きたい。
どうせ、そう長くはない大工人生として考えれば、アホな事を一生懸命やって、いい意味でも悪い意味でも前向きにとらえ楽しんだほうが、最後には笑って終れる気がする今日この頃である。


2009.8.4 


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